50.60代の美と健康

60代、健康の大切さをひしひしと感じる年になりました

50代、離婚後に始めたブログもこの数年は放置状態

この数年は家族の病気・親の介護そして私自身も病気と闘うというなかなかハードな生活を送っていました。

心身とも疲れてしまい、何度もブログを完全に閉鎖してしまおうと思いましたが、つらかった時期を一緒に乗り越えてきたブログを閉鎖できませんでした。

病気から仕事へと復帰した今、ぼちぼちとブログに戻ってみようかと思います。

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50代最後の年に大腸がんが見つかりました

50代最後の年の健康診断

便潜血検査で引っ掛かり、大腸内視鏡検査をすることに

9個のポリープが見つかり、そのうち5個は検査をしてもらった診療所で切除

残り4つは大きな病院での切除が必要で、その中の1つは顔つきの悪い腫瘍ということで綜合病院へと紹介されました。

再検査の結果、進行性の大腸がんと診断

手術後の検査結果ではステージⅡだったものの、悪性度の高い癌ということもあって抗がん剤治療もしました。

60代になり脳ドックで未破裂脳動脈瘤見つかりました

大腸癌の手術、抗がん剤治療を終え、仕事へも復帰

どうにかこうにか仕事と家事をこなせるようになったころ、脳ドックを受けてみたのですが、そこそこ大きな脳動脈瘤が見つかり手術をすることに

開頭手術ができな場所ということもありフローダイバーターという脳血管内手術を受けました。

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自分の病気がわかった時、思ったより冷静だった

この2年、それなりに大きな病気を治療してきましたが、診察も検査も診断もすべて一人で受けてきました。

大きな病気になると診断が出るときや治療方針の話になるときには、家族などの付き添いがありますか?と聞かれますが、毎回1人

病名を告げられた時も動揺することなく「あ~やっぱりそうだったんですね」くらいの反応でした。

自分の病気よりも家族の病気のほうが何倍も辛い

私が癌の告知をされたとき、私の母は心臓発作で入院していました。

私が抗がん剤治療をしているとき、息子が倒れ3度も手術をすることになりました。

自分の病気は自分が戦えばいいことです。

でも家族の病気は変わってあげられません。

ましてや、まだ若い自分の子供が死の淵にいる状態を目にした時は、残りの寿命をあげるから助けてと祈ることしかできません。

笑って一緒に食事ができるって幸せです

この数年、私も家族も病気と闘う日が続きましたが、今は家族で笑って食事することができるようになりました。

いつ心臓発作が起きるかわからない高齢の母は看護付きの施設へ入居してもらい、私と交代で母のリハビリ通院に付き添ってくれていた娘は、結婚し家を出ました。

体に麻痺が残る可能性が高いと言われた息子も、健康だった時よりも少しだけ不自由な体にはなりましたが、無事に社会復帰することができました。

そして私は少しずつ体重も増え、週4日勤務で仕事へもどりました。

辛かったことが多かったぶん、いまは普通の毎日がとても大切な時間です。

今、生きているからこそ毎日を大切にしたい

今日も感謝です。