子供のころから人に物を聞くのが苦手でした。
何かを聞こうとすると、恥ずかしさで顔が真っ赤になったり、こわばった顔で話を聞くため、きつい顔をしては相手を不愉快にさせていました。
人と喋るときには話題を頭の中でグルグル探し、どうにか探し出した話題を相手がどう感じるか考えていると、話しそびれたり変な方向に話を持っていったりして失敗したこともあります。
そして、一日が終わる頃には心がかなり疲れてしまうのでした。
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相手にどう思われるか?若い時は気になりすぎて人に聞くことが苦手でした
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥
だから人に聞くことは何も恥ずかしい事ではなく、知ったふりをして聞かない事の方が恥ずかしい事だと、よく言われても、なかなか素直に聞くことができないのは悪い癖
そんなことは大人達に耳にタコができるほど聞かされ、子供心にもわかってはいたはずです。
でも、どこでつまずいてしまったのかわからないことを、人に聞くことが苦手になってしまったのです。
小さなころからそうだったのか?
どこかで何かきっかけがあって苦手になったのか?
まったくわかりません。
でも、ほんの少し前まで仕事に関してわからないことがあると、「そんなことも知らないの」と冷たい言葉が出るかもしれないと、気になって気になってしかたがないものでした。
だから、結局なにも解決しないまま、知ったかぶりをして仕事を進めながら仕事をした結果
いざ一人で仕事を任されても、わからない事が山ほど出てきてしまうのです。
話を聞いてもらう相手の反応よりも自分が恥をかくのが嫌なのです。
結局、あの当時の私を思い浮かべてわかることは、
相手にどう思われるかが気になってるのではなく、自分が何もわかっていない事を相手に知られるのが怖かったのです。
仕事でも勉強でも、わからない事が出てくれば誰かわかる人に聞こうと思うのに、相手に自分のわからない事をどう伝えようか頭の中で整理をしているうちに、だんだんと心が重たくなってしまいます。
そして結局なにも聞くことなく過ぎてしまうのです。
酷い時には道に迷ってしまっても、誰かに聞くことが恥ずかしくてできませんでした。
聞くは一時の恥とはいえ、その一時に恥ずかしい思いをするのなら、知ったかぶりをしつつ、必死に自分でどうにかしようとする癖
なにをやっても時間ばかりバカみたいにかかってしまう損な性格なのです。
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50代になったら、何度も同じことを聞くことが平気になりました
世間では女性が年を重ね「おばさん」になると、非常に厚かましく、図々しくなることにかなり厳しいようです。
確かに私も40代の半ばまでは、そう思っていました。
でも、50歳を過ぎたころから仕事でわからない事や、道に迷った時にも、誰彼なしに聞くことが出来るようになったのです。
誰かとお喋りをしていても、話が違った方向にそれてしまっても、平気な顔をして喋り続けることもできるようになりました。
年を重ねるたびに、心は生きやすくなっているかもしれません
年をとったことで何度聞き返しても「おばさんだからしかたがないか」そうやって相手に思われる年齢になると、とても生きやすくなりました。
今まで人に聞くことが苦手だった私が、相手が「またですか?」と苦笑いするほどまでに何度も聞き返すのが平気になったのは、年を取って図々しくなったからに違いないからでしょう。
「こんなことも知らないの?」「もう忘れたの?」と聞かれたら、どうしようかとドキドキして聞けなかった私
50歳を過ぎたら「もうね~すぐに忘れるようになってきたのよ」と、理解できるまで平気で何度も聞き返せるようになりました。
おばさんになるのは思ったより素敵な事のようです。