私が4歳の時、両親は別居をしました。
離婚調停から離婚裁判へとなり、両親の離婚が正式に決まったのは私が小学校4年生
ずっと母子家庭で育ってきた私は、生き別れた父親に会いたいと思ったことはありません。
親が生きているのに行方を探さない、会いたくもないのは、感情の一部が欠けてしまっているからなのでしょうか?
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生き別れの親に会いたいのは子として当たり前の感情なの?
私が結婚していたころ、生き別れになってしまった家族を探す「逢いたい」や「奇跡の扉 TVのチカラ」テレビ番組がありました。
元姑さんは、この番組が大好きでよく見ていたのはいいのですが、感動の体面を観た後に必ず
「別れたお父さんに会ってみたいと思わないの?」と聞いてくるのです。
「まあ・・・あまりいい思い出はないので会いたくないです・・・」と答えると
「こんな大変な思いをしても、お父さんに会ってみたい人もいるのに、あんたは人間として何か足りないんじゃないの!」
「どんな親だって、あんたをこの世に送り出してくれた人なんだから、どうしているかぐらい気にかけてあげるのが親子の情でしょう」
・・・などなど
そんな姑の言葉に最初は我慢ができていても、だんだんと我慢が出来なくなってきた私
ついに「父親が死んでくれていることを望んでいるんですから黙ってください!!」と口答えをしたのを覚えています。
しかし、姑は親子の感動の体面を観た後は、私に聞こえるように「どんなにひどい事をされても親を探すのが子供の情だわね」とテレビ画面に向かって言う癖は続くのです。
優しい父の顔と鬼のような父の顔
私の父親だった人は、「飲む、打つ、買う」は男の甲斐性だと信じて疑わない人でした。
良く働き「飲む、打つ、買う」ならまだしも、妻である母が一日中内職をしたお金を奪っては遊びに行く男でした。
父方の親兄弟は全員立派な仕事につき、生活もそれなりに裕福だったそうですが、祖父母に溺愛されていた父だけは仕事が長続きしない人間だったそうです。
そんな父親ですが、私のことはとても可愛がってくれた記憶はあります。
父親は私を一緒に連れ歩くのが大好きで、飲み屋、競輪、競馬場、パチンコなど、どこにでも連れて歩きました。
酔っ払って帰宅すれば、私を抱っこして「可愛い可愛い」と言ってくれた記憶もあります。
でも、いくら可愛がってもらっても、お金が無くなると暴れまわる父親の存在は怖くってしかたがなかったのです。
一番恐怖を感じたのは、母が身重だったとき
大きなお腹の母が父に何度も殴られ、包丁を振り回しだした父から逃げるため外に飛び出していった日のことは、何歳になっても覚えています。
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生活力がないのに親権を欲しがる親
この後、母は子供を連れて別居
離婚調停から裁判になり、離婚が正式に決まるまで時間がかかったのは、父が消息不明に何度もなってしまったからです。
あちらこちらで借金を作っては逃げ回り、ほとぼりが冷めるとヒョコッと現れる
かなりいい加減な生き方をしていた父でしたが、なぜか私のことを手放すのは淋しかったようです。
そのため、突然、小学校に現れては私を連れ去ろうとするため大騒ぎになったことがありました。
酒臭く、よれよれの姿の父の姿を同級生に見られてしまったことが、とても恥ずかしかったのを覚えています。
でも子供だった私は、父親がこの世から消えてほしいとまでは思えなかったのです。
この世から父親の存在が消えてしまえばいいと願った
私が大人になる頃、酒におぼれ、体を悪くし、ボロボロになってしまっていると、時々どこからか父親の噂を聞くことがありました。
離婚で別れてしまった父親が、どこで何をしようが、どう生きようが私には関係ない事とずっと思っていました。
でも、自分が働きだし、結婚し、親になってみると、父親が生きていることが耐えられないのです。
- もしも、お金を貸してくれと言ってきたらどうしよう
- もしも、何度も家を訪ねてきたらどうしよう
- もしも、親だから面倒を見ろと暴れだしたらどうしよう
自分が欲しかった普通の家庭を、別れて暮らす父親が壊しに来たらどうしようか・・・
そんな不安がなくなったことはありませんでした。
そして、父親がこの世から消えてくれることが私の望みになってしまったのです。
生き別れた親に会うのは本当に幸せなのか
今、私の父親は生きているか、死んでしまったのか全くわかりません。
数年前までは、この世から消えてしまったかどうか調べようと思ったこともありましたが、今はわからないままでいいのです。
お金が無くなっても、体を壊しても私達を訪ねてこないのには、父には父なりの考えがあるのでしょう
姑が大好きで見ていた感動のご対面番組
あの時、必死に親や子供を探し感動の対面が叶った人たちは、今本当に幸せなのでしょうか?
もしかしたら、感動が憎しみに変わってしまう家族もいたのではと、変なことを考えてしまう私は、やはり冷たい人間なのかもしれません。